称念寺について

永禄より創建された称念寺をご紹介します。

歴史

稱念寺は、浄土真宗本願寺派に属し、今井御坊とも南之御堂とも呼ばれている。

現在の今井町は、この寺の境内地を中心として発達した寺内町である。

寺の草創は室町末期の天文年間織田信長が誕生したあたりで、本願寺の一家衆今井兵部卿豊寿がここに本願寺の道場を建てたのに始まる。
豊寿ならびに二代鶴寿は今井道場を自坊としたが、本願寺の与力や本願寺の支城、我孫子の城主をも兼ねていた。
彼の石山合戦の折、天正三年(1575年)には本願寺の和議の使者のひとりとして兵部も織田信長の元に赴いている。

今井道場が今井御坊稱念寺となるのは文禄年間(1592~1595年)で富綱のときである。
時は丁度秀吉が朝鮮征伐に赴くそのあたりである。
今井氏は代々兵部と名乗り、織田・豊臣・徳川氏に仕えて武士と僧侶を兼帯し、なかんずく秀吉の頃には堺住吉郡の代官や大阪城の普請奉行の要職についている。
しかし延宝七年(1679年)には武士を返上して釈門に帰り、以後は大和の真宗寺院を統轄していた五カ所御坊、十六大坊の中心寺院として幕末まで中本山的な役割を果たしている。

明治十年(1877年)二月には明治天皇が二夜三日駐泊された。
明治天皇は、二月十二日熊本城危機の知らせのために大阪道明寺に向かわれ、御一泊の後堺に向け御進発遊ばされた。
西南の戦争の始まりであった。

平成十四年(2002年)五月二十三日本堂、国の重要文化財に指定される。
平成二十二年四月大修理のため、ご本尊を仮本道にお移しし法要を勤める。

第一三代称念寺住職
釈 博通 記す
(釈 宗慶 加筆)

概要

名称
浄土真宗本願寺派 稱念寺(称念寺)
住所
奈良県橿原市今井町3-2-29 [ アクセス案内 ]
電話
0744-22-5509
見学
無料 ※見学時間は開門時

境内配置図

  • 表門

    多武峰談山神社(妙楽寺)より移築された門である。廃仏毀釈の折、年代ははっきりしないが、明治2年から9年頃である。それ以前は長屋門であったと言われている。

  • 鐘楼

    建築年月日ははっきりしていない。釣り鐘は第二次世界大戦中に供出されている。現在の釣り鐘は昭和38年親鸞上人700回忌法要の折寄進されたものである。

  • 太鼓楼(橿原市指定文化財)

    建築は1845年(弘化2年)。この年、称念寺では西本願寺二十代広如上人の下向予定があり、御殿・広間・井戸屋形等の修復が行われ、太鼓楼は新立された。建物は重層で入母屋づくり、四方に花頭窓があり、御堂筋の重要な景観になっている。

  • 本堂

    称念寺の起こりは16世紀前半に遡る。現在の本堂は、今回の工事で取り外られた部材に、寛永18年(1641年)の年号が書かれている。発掘調査において基礎地業の下から寛永通宝が出土されている。

境内配置図

  • 本堂(重要文化財)

  • 称念寺古文書(重要文化財)

    桃山時代から昭和時代に及ぶ1134点から成り、桃山時代~江戸時代が929点、明治以降205点が残されている。大和の真宗寺院の中核として、又、今井地域に関わる資料など、多様な資料が残されている。

  • 称念寺古文書:織田信長朱印状(重要文化財)

  • 明智光秀書状:織田信長朱印状(重要文化財)

記念はがき

明治十年の明治天皇駐泊を記念し制作された記念葉書(7枚入り)です。称念寺にてお求めいただけます。

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